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桃ジュース。

とてつもなく久しぶりの更新。

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今年の秋

長く関わった利用者さんが亡くなりました。

私の中ではかなり特殊な方で、

支援内容も思い入れも強くて、

亡くなったあともしばらくおうちの近くも通れず

ちょっとしんどかった。

亡くなってしばらく経った昨日、

ようやく外から家を眺められる道路を通れました。

訪問リハビリを始めた当初は、

結構破天荒に色々な支援してたんだけど(笑)、

役職ついたりスタッフが増えるにあたって、

どんどん自分らしい介入が減ってた中で、

久しぶりに“人によって支援内容を深くしていた利用者さん”でした(それが良いか悪いかは置いておいて)。

当時の破天荒な介入でも今回の方でも、

共通してたのが【食】だった気がする。

“好きなものを食べたい”という願いを叶えるための支援。

病院でもチャレンジして良いところだとは思うんだけど、

やっぱり在宅の醍醐味で。

“最期まで好きなことして死んでいきたい”っていうのは、自分の母親を自宅で看取ったときも同じ。

母さんは

・大好きな花がいつも見えるベランダの横にベッドを置いて過ごしたい

・トイレだけはお世話になりたくない。←(確か前日まで一人で行ってたな)

それができるのが在宅。

ここ数年、疾患管理を勉強したり

自分の部門の底上げをするために、

リスク管理の働きかけを促してきたけど、

原点帰るとその

【本人の希望を叶えながら生活支援をすること】なんだよなぁ。

久しぶりに原点に帰らせてもらった気がします。

そして今までと違うのは仲間の数。

今回は関わったスタッフに私自身が

グリーフケアをしてもらう感じでした。

支援の思い出話して、最期の様子を話して、

自分らの支援は正しかったのか、

最期本人はどう感じただろうか、

色々なことを共有してなんとか立ち直れました。

人ひとりを支えるのに、

私はそれぞれの専門性や人間性がすごく大事だと思うし、

一人で抱え込まないように

チームを確立することも大事だと思う。

今回は本当に色々学ばせてもらいました。感謝。

一緒に飲んだ桃ジュース、

缶だから最期は棺桶に一緒に入れられなかったけど、

お互いの思い出に残ってたらいいな。f:id:yumekamo4:20211028153142j:plain

もう14年、まだ14年

母さんの14回目の命日。

もう14年、って感覚の方が強い。

子どもの成長を見る時間なんて、たかだか20年くらいだろう。

けどそれより短かったんだなぁ、私と母さんの時間は。

 

やりたいこと、やってもらいたいことは山ほどあったけれど、ふと母さんは私を含めて4人の兄弟を残してくれたからなんだかんだやってこられてる気がする。

 

 

2年後には、母さんと一緒に過ごした時間を

母さんと別れてから生きている時間が越すことになる。

例えそうなったって、ずっと忘れないよ。

唯一憧れの存在だからね。

 

 

 

 

今年は良い報告ができたね。

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いつも見守ってくれてありがとう。

 

R3.4.24 Megumi

いつまでも母親は母親。

「風が強くなってきたからもうじき雨が降ってくるね」

 

リハビリ中にそんな言葉を

患者さんから言われたものだから、

そういえば小さい頃に

「めぐー!もうすぐ雨降ってくるから洗濯物取り込んで!」

とお母さんに言われたことがふと蘇ってきました。

 

今日は母の13回目の命日。

 

いつもは仕事を休む命日も、今日はなぜか仕事。

新型コロナウイルスの非常事態宣言で

埼玉には帰れないし

外出自粛で外に出てられないし

何故か会議のメインパーソナリティー

仕事をぶち込んでしまったのである。

 

 

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朝の空はとても綺麗だったよ。

 

 

 

最近、出産を終えた女性に

出産体験記インタビューしているんだけど、

母親って本当に偉大だよなぁって

改めて思っている。

Physical Birth Houseママ療法士出産体験記|Megumi|note

 

 

 

この間、母さんが闘病中に

やりとりに使っていたノートを見返したの。

2007年3月30日、母さんが亡くなる1ヶ月くらい前。

死ぬ直前まで、娘の部活の話してるんだよ。

母親って死ぬまで母親なんだよなぁ。

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いや、形はなくなっても

母親はいつまでも母親よね。

 

今年も穏やかにこの日を迎えられたよ。

 

 

今日も生きてる。

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ありがとう。

 

R2.4.24 田中めぐみ

 

 

作業療法士っぽい理学療法士

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こんにちは、めぐです。

今年も前に働いていた桃農園の夏が終わりました。

なんだこの暑さは...4年前よりはるかに暑かったです。

お盆あけて涼しくなりましたね。

気温差にご注意ください。

 

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先日作業療法を語るナイト”というものに

参加させていただきました。

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※私は理学療法士ですよ!

 

 

主催はとちぎ作業療法研究会さんの

私の地域のお仲間である作業療法士のすまさん。

 



 

 

訪問リハを始めてからもうすぐ丸3年になりますが、

訪問リハ1年目の時、機能訓練として患者さんに“触れる”を

第一選択としていた私は、

2年目に入ってから“触れる”が自分の提供するリハの中で

1番低い優先事項になりました。

もちろん生命に関わるバイタルチェックは

触れて確認します。

でもこちらが体の一部を動かしやすくしようと試みたり、

痛みを手で取ろうとすることは

自分が提供するサービスの中で最後になりました。

 

私が訪問リハ1年目で徒手的な介入をしていた時は、

私の関わる40分は、この方の残りの23時間20分に

どんな影響を与えられているのか?

とずっと疑問でした。

それから、その方が

「やりたいけど一人ではできないこと」を

実現した方が「生きていてよかった」と

思えるのではないのかなと思ったのです。

 

 

4月に職場に作業療法士さんが入職して

指導担当になりました。

私のリハビリを見学してもらって、

最初に言われたことは

「田中さんって理学療法士より

作業療法士や看護師みたいですよね!」でした。

 

 

ー自分は理学療法士なのに、作業療法士っぽい。ー

 

めっちゃ嬉しかったんです。

ただ嬉しい反面、自分の役割を全うできていないのかな、

というなんとも言えない感情。

確かに身体機能的評価や解釈が苦手で、

とりあえずモミモミ、

とりあえず関節動かしていこうみたいなことを

回復期で1年やって、

一度理学療法士ドロップアウトしています。

理学療法士としての役割から

逃げてきたことも事実です。

でも、訪問リハでの需要と供給に関して言えば、

目の前にいる患者さんのニーズと、

自分が提供しているサービスは

間違ってはいないと思っている。

 

どうしたらいいんだ・・・

 

そんな中、このイベントに参加させてもらって

それぞれの分野で悩みながらも、

自分たちの価値を見出すために

頑張る作業療法士さんたちの存在を知りました。

やっぱり行動を起こしている人はいて

ちゃんと少しずつ組織内で結果が出ていて、

でも国から求められていることとの

ギャップがあり、色々悩ましい中頑張っていて、

泥臭くがんばる作業療法士さんを

前よりずっとずっと好きになりました。

 

語るナイトということで私も

お話させてもらったんですが、

私は作業療法士さんの背中を押したくてこれを。

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今回は私のプレゼンは置いておいて。

 

 

 

そう、それで

そして私と同じ理学療法士で、

大好きなあんどぅさんが

その場でこんなことを言っていました。

 

 

 

とても簡単に言うと

理学療法士は「人間らしく」

作業療法士は「その人らしく」

を引き出すのが上手であり役割である。

 

 

自分の中でぼんやりと答えが出たのは、

 

私は理学療法士なのに、

作業療法士らしいのが悪いのではなく、

理学療法士なのに作業療法士の視点や

思考があるのは良いことじゃんか!

 

ただ、名だけ理学療法士になってる感じはある。

死ぬ気で取った理学療法士免許。

ちゃんと理学療法士の視点で

身体機能を見ることができて、

作業療法士らしい視点で

在宅の患者を支えられる、

そんな理学療法士になれたら最高じゃん!!

かっこいいじゃん!

 

 

ということで、

身体機能的介入の割合も少しずつ増やしています。

評価して何故そうなっているのか考える。

円滑に体が動くためには、体がどう変わったら良いのか提供する。

 

 

 

 

時に、やりたくないこと からは逃げてもいいけど

やりたくないけどやる必要があるもの からは逃げないようにする。

私もまだまだ弱い人間で、苦手なことからは逃げたくなります。

 

でも私の目標である“ママの居場所づくり”には

身体機能的な評価は必須なのです。

だから、今ちゃんとやる。

ゆっくりだけど、最初は上手く繋がらないけど

でもちゃんと見ようとする。

失敗できるようになった今ならできる気がする。

 

 

「お前ほんとに6年理学療法士やってきたの?」

って思うような私の言動に色々な形で

背中を押していただけると幸いです。

 

 

 

お兄さまがた、素敵な気づきを

ありがとうございます。

また理学療法士頑張る!

 

 

明日は訪問リハビリセミナー!

https://rihawolf.com/8-24/

参加者にきっかけを提供する

4人の運営のサポートをしてきますよ!

 

 

2019.8.23 田中めぐみ

 

 

原点

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「めぐの母ちゃんには良い思いして欲しかったんだよ。

だから最期に選抜で全国行けて良かったよな」

二次会で言ってくれた監督の言葉で、

子どもの頃の私も、また今の私も救われた。

監督は私の第2の父のような存在である。

父とお酒を交わせるようになって幸せだ。

 

 

私は小学校3年生の時に

地元のバレーボールの少年団に入団した。

その監督が還暦を迎えるということで、

卒団生代表として、還暦祝いの幹事をやらせていただいた。

 

入団当時は運動があまり好きではなくぽっちゃりしていたけれど、バレーボールに出会えたおかげで運動嫌いは解消。

それでも、試合が嫌な時代なんかは、平日練習には行くけど、週末練習試合の時はお腹痛くて休むなんてザラだったなぁ。笑

 

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小学校6年生でキャプテンに。自分の代の最後の大会で、全国の切符を掴み、3月に鹿児島で行われた全国大会に出場。全国ベスト8の結果を残して卒団した。

 

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10数年前、越境入学はまだ少なかったが、私は友達と別れてまでバレーボールを続ける気はなくて、迷うことなく地元の中学に進学。

中学校3年生の時、個人で県の代表に選出。

セッターで選考会でたのにリベロで選出されるミラクル。

 

私が中1でがんが発覚した母は、刻々と身体をがんに蝕まれているのにもかかわらず、大阪で行われる全国大会に行くことに標準を合わせて治療をし、持ち運び用の在宅酸素を持って大阪まで来てくれた。

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その4ヶ月後に母さんが亡くなることを私が知っていたかはもう覚えていない。

 

 

 

 

 

 

プレーヤーの私だけじゃなく、

私の母のことまでずっと気にかけてくださって、

少年団を卒団してからも

ずっとずっと見守ってくれていた監督。

 

 

監督が会の最後に私を紹介してくれたんだけど、

私たちの代の全国ベスト8、

15年経った今でも破られてないんだってさ。(どや笑

 

 

今ではもう全然バレーボールのバの字もできなくなっちゃったけど、

私の原点はここにあって、このチームがなかったら

今まで辛いことがあって乗り越えるための忍耐力も、スポーツの大切さも、仲間との出会いも得られなかった。

 

 

監督、本当にありがとうございます。

いつまでもお元気で、

大切な地域の子供のスポーツ現場を守り続けてください。

 

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20年以上続く歴史あるチームのお祝いを

企画させていただいて幸せでした。

みんな同窓会のようにワイワイしていてよかった。

 

また、いつか。

 

2019.07.14

田中めぐみ

 

還る

最近、愛するパートナーのもとに帰ってきた。 

 

色々語弊を生むね。

 

昨年の暴走列車のように全国を飛び回っていた私も

徐々に落ち着いてきました。

昨年はたくさんの出会いがあって、出会えて気づけたこと、変われたこと、わかったこともたーくさんあったけど、大切なものは自分自身を含めて近くにあることに気づくことができました。

皆さんありがとうございます。

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我が家は結婚記念日になるとキャンプを企画する。

結婚記念日以外もサクッとデイキャンプとかもするのだけれど、結婚記念日に花束やプレゼントを送るなら、2人の好きなキャンプに出かけようよ、という発想である。(旦那には未確認)

 

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回数を重ねるごとに

タープの設営やら、拠点作りの時間が短縮されてきて、要領が良くなってきたんだなぁと感じる。

恒例行事で夫婦力がアップしていると感じるのが嬉しい。

 

キャンプは人生みたいな感じで

住処を作り、ごはんを作り、暖をとり、寝床につく。

我が家の場合は2人で協力してね。

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いつも一緒にいると

その空間が当たり前で、家事をやるのが当たり前で、好きなことしに出かけるのが当たり前で、色々なことがお互いの「当たり前」に包まれる。

 

だけど2人でいることは「当たり前」なんかじゃなくて、突拍子もないことで離ればなれになったりすることだってあるでしょう。

突然どっちかが死ぬこともあるでしょう。

そういう時に後悔しないように

いつも2人でいる空間を当たり前にしないためのキャンプだって私は思ってる。(彼には未確認)

 

楽しさの中で、定期的に試すのだ。

お互いのお互いに対する気遣いを。

2人で生きてることの幸せの再確認を。

一緒にいることが当たり前のようで

当たり前じゃない幸せであると感じるために。

 

 

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最近は私がぐーたらしすぎて、甘えていることばっかり。そんなことを改めて感じたキャンプ。

 

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やっぱり長く一緒にいたとしても全ては分かり合えないから、言葉を交わすことは大切だなぁと。

 

 

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いつもありがとう。

 

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R1.5.31

田中めぐみ

 

 

拝啓 親愛なる母上さま

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母さんの12回目の命日。

もう数年、命日の日に

お墓に手を合わせにはいっていない。

 

命日は私自身が自然に返って自然と対話する。

それが私なりの供養。

 

 

「今ここ」を感じる

仕事もそれ以外の活動もパートナーのことも

一旦全部自分の外に置く。

自分を空っぽの状態にすると

母さんとのどんな思い出を感じたいのか

母さんが息を引き取る瞬間を思い出して息が詰まるのか

死後にしまい込んだ喪失感を思い出して涙が出てくるのか

母さんからのメッセージはあるのか

そもそも自分は母さんのことを思い出したいのか

 

雑踏の中にいるとそれが感じられない。

自然の中にいて日々の生活を全部置いてきた方が、

家族でお墓で手を合わせるより、

よっぽど自分と母さんと時間を過ごせる。

 

要は自分のためなんだ。

 

 

毎年自分の想いを綴る

母さんが教えてくれたこと-自分のこと大切にしてますか?- - いつだってシンプル。

(昨年の同じ日に書いたブログ。ここに6年前から毎年4月24日に書いた記事も全部載ってた)

 

1年に一回同じ日に書く文章を見ると

自分の成長がわかる。

自分自身が成長したなって感じる場面って

日々の生活でそう多くはないけれど

母さんが亡くなった今もなお、親としての務めを果たしてくれているんだと思ってる。

今年書く内容は、母さんはちょっぴり残念がるかもしれない、それとも成長と捉えてくれるかしら。

 

 

はてさて今年は、これを読んでいる人に届けよう!というものがない。

 

過去のブログを見ていると、

あんなにみんなにがん検診受けて!自分を大切にして!と言ってた自分がどこへ行ったのやら。

人に対して無関心になってしまったのかなぁ

と思う傍ら、

「自分自身を生きる」ができてきたのかもしれない。

 

 

承認欲求が高いことを自覚した

 

「心から人の役に立ちたい」

ということと

「誰かに認めてもらいたい」

紙一重だと思う。

「人の役に立ちたい」の裏側にある真理。

それはこの言葉だけではわからない。

中には自分のことは二の次で「人の役に立ちたい」人もいる。ほんとすごいなと思う。

でも自分はなれないし、ならない。

正しく書くと、「もう」その自分には戻らない。

 

 

私は今まで

表面上は「人に役に立ちたい」といいつつ、内面では「誰かに認めてもらいたい」がめちゃくちゃ強い人間だった。

 

母さんが圧倒的give人間だった気がするし

それを小さい頃から見ていたし、

私自身昔っから世話好きだったから

「人の役に立ちたい」は事実だったのだろう。

 

 

自分が承認欲求が高いことにはだいぶ前から気づいていた。

アンチから攻撃をくらったり、人から直接言われたり、自分の言動を思い返したりして。でも困らなかったからそのまま過ごしていた。だけどこの数ヶ月で自分にとって困ったことが起きた。

 

「人の役に立ちたい」って口では言っているけれど、本当は「誰かに認めてもらいたい」から人に対して行動しているじゃないか。

人前で良いこと言って、本心ではないじゃないか。

 

承認欲求を自覚したが故に、自分の思いと言動の乖離に息苦しさを感じるようになった。

 

そこから「〜のために」と言うことがしんどくなった。その言葉を使うのをやめた。

 

それを境にブログも書かなくなった。

「自分のために書いている」と言っておきながら、世に発信し、「読んでもらう人のため」に

言葉を選んでいた自分がいたから。

 

きっとそれを、頭で分けて考えて

「これは人を集めるための1つの戦略だから!」

「自分が生きるためだから!」

とそれができる人はたくさんいる。

でも私は言えなくなった。一時的に。

「誰かのために」「誰かの役に立ってる」っていうのがカッコよく思っていた自分だけど、それを盾にして自分の弱さを隠していることができなくなった。

そのうち頭で切り替えられるようになったら

「自分のため」に言うようになるかもしれないけどね。

 

自分が幸せになるために動いた結果

相手が幸せになればそれでいい。

 

私は私のために動くことをベースにする。

自分の人生だから。

変な強がりやいい人はおしまいにする。

 

今の私はここにいる。

 

ただ、今までお世話になった人へのお返しはしたい。

それは実行すれば自分が満たされるし、お返しは自分がやりたいこととリンクするから、それで良い。

だから実際は行動は変わらないのだ。実は自分の思考の変換だけだったりもする。でもそれ1つで心は豊かになる。

 

今の自分の位置はわかったけど、もう一つ知りたい大事なことがある。

「人の役に立ちたい」自分は小さい頃からいたとして、「誰かに認められたい」自分は一体いつからいたのか?

今はまだ思い出せない。ここはまた、ゆっくりゆっくり自分と向き合って、答えに近しいものを見つけていくとする。

 

 

 

承認欲求は人間ならあるもの

現代に生きる思春期〜成人期の人間は

生きる根源(衣食住)の欲求が満たされているが故に

「自分の存在価値」を欲求とする時代らしい。

そんな話を聞いたら、誰かに認められたい、自分の存在意義を見出したいと思うのは、きっと私だけではないのだと思う。

 

「人に認められたい」は悪ではない。

人間は欲の塊であるし、「承認欲求」は存在するとマズローさんが言っている。

それをどう捉えるかは個人の自由。

だから人に押し付けるものでもない。

 

ただ、私は自分を生きたらそんな答えに行き着いた。自分に素直に生きたい。それだけ。

 

そんな成長を

親愛なる母さんに、末娘の成長記録として捧げる。

 

母さん、産んでくれてありがとう。

ちゃーんと週末みんなでお墓行くからね。

27歳の私もよろしくぅ!!

 

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H31.4.24

田中めぐみ