ギフトが生まれるとき、
リハビリを卒業された方と
公園にお花見に行ってきました。
2部咲き。ちょっと早かった。
週末が見頃かなぁといったところ。
ぷくーっと膨らんだ蕾を見て
あぁ、もうじきだね。楽しみだね。
なんていう瞬間も幸せだったり。
最初はなんだか壁があって
足が痛いから外に出たくなかった人が
今ではこうして公園に来て桜を楽しんでる。
そんな時間を共有できて幸せ。
帰りがけ、ギフトをいただきました。
嬉しい。本当に嬉しい。
「毎回お茶を出そう出そうと思うんだけどごめんな。」
と言っていた方がね。
物でもお金でも手のあったかさでも
ギフトを贈りたいと思った時、選んでいる時、
必ず相手の顔が浮かんだり相手のことを想う。
それって自分の心に余裕があるからこそ
できることかな。と感じてる。
自分に余裕ができる要因はたくさんある。
体の調子が良くなること。
想いを吐き出せたこと。
哀しさや寂しさを共有できたこと。
お金で満たされること。
人それぞれ。
お金がなくても幸せだと思える人もいるし
体の調子が悪くても
孤独じゃなければ幸せだと思える人もいる。
自分の心に余裕が出ると、生きてる感じがする。
そんなお手伝いが少しでもできたかなぁ。
最後に一緒に撮った写真は最高の笑顔だった。
もちろん悔しい想いはたくさんあって
まだまだ関わっていたかったけど
卒業してもまた別の方法で関わっていきたいと感じました。
リハビリする人とされる人の繋がりじゃ嫌だから。
人と人の繋がりでいたい。
このギフトをいただいて
以前私の友人が言ってくれた言葉を思い出しました。
----------------------------------
ちゃんめぐはみんなの誕生日とか覚えてて
よくプレゼントあげてたよね。
プレゼントをもらうと嬉しい。
その嬉しさの裏には色々なものが詰まってるなぁって感じた。
単純にプレゼントを貰った嬉しさ
成長した嬉しさ
その人が自分のことを想ってくれたこと
育ててくれた親に感謝すること
祝ってくれてる人に感謝すること
祝ってくれた人に自分も返したくなる気持ちとか色々ね。
自分で稼げるようになったら、そういうの大切にしていこうと思った。
----------------------------------
私が感じ得ない言葉たち。
このメッセージを読んで心が震えたことを思い出しました。
ギフトを通じて様々なことを感じてくれて
私にとってはその言葉自体がギフトでした。
ギフト。
心から溢れ出てくるもの。