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原点

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「めぐの母ちゃんには良い思いして欲しかったんだよ。

だから最期に選抜で全国行けて良かったよな」

二次会で言ってくれた監督の言葉で、

子どもの頃の私も、また今の私も救われた。

監督は私の第2の父のような存在である。

父とお酒を交わせるようになって幸せだ。

 

 

私は小学校3年生の時に

地元のバレーボールの少年団に入団した。

その監督が還暦を迎えるということで、

卒団生代表として、還暦祝いの幹事をやらせていただいた。

 

入団当時は運動があまり好きではなくぽっちゃりしていたけれど、バレーボールに出会えたおかげで運動嫌いは解消。

それでも、試合が嫌な時代なんかは、平日練習には行くけど、週末練習試合の時はお腹痛くて休むなんてザラだったなぁ。笑

 

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小学校6年生でキャプテンに。自分の代の最後の大会で、全国の切符を掴み、3月に鹿児島で行われた全国大会に出場。全国ベスト8の結果を残して卒団した。

 

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10数年前、越境入学はまだ少なかったが、私は友達と別れてまでバレーボールを続ける気はなくて、迷うことなく地元の中学に進学。

中学校3年生の時、個人で県の代表に選出。

セッターで選考会でたのにリベロで選出されるミラクル。

 

私が中1でがんが発覚した母は、刻々と身体をがんに蝕まれているのにもかかわらず、大阪で行われる全国大会に行くことに標準を合わせて治療をし、持ち運び用の在宅酸素を持って大阪まで来てくれた。

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その4ヶ月後に母さんが亡くなることを私が知っていたかはもう覚えていない。

 

 

 

 

 

 

プレーヤーの私だけじゃなく、

私の母のことまでずっと気にかけてくださって、

少年団を卒団してからも

ずっとずっと見守ってくれていた監督。

 

 

監督が会の最後に私を紹介してくれたんだけど、

私たちの代の全国ベスト8、

15年経った今でも破られてないんだってさ。(どや笑

 

 

今ではもう全然バレーボールのバの字もできなくなっちゃったけど、

私の原点はここにあって、このチームがなかったら

今まで辛いことがあって乗り越えるための忍耐力も、スポーツの大切さも、仲間との出会いも得られなかった。

 

 

監督、本当にありがとうございます。

いつまでもお元気で、

大切な地域の子供のスポーツ現場を守り続けてください。

 

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20年以上続く歴史あるチームのお祝いを

企画させていただいて幸せでした。

みんな同窓会のようにワイワイしていてよかった。

 

また、いつか。

 

2019.07.14

田中めぐみ